フルトヴェングラーは死なない。
1954年にハイデルベルクの墓地に埋葬されても、録音とともに蘇って、音楽のために戦い続ける。
その意味で、現代の録音が持つ可能性を徹底的に体現してきた音楽家なのだ。
いまも、フルトヴェングラーの存在は大きい。
しかしここには危険もある。彼の世界に人々が閉じこもり、現代の音楽界と関わらなければ、いまの音楽が衰弱する。
だが、「ナチの影」を意味ありげに語ったり、時代遅れの音楽家と決めつけても、フルトヴェングラーを葬ることはできない。
彼は高潔で勇気があり、その演奏は傑出している。
その事実を否定しても無駄である。
ただ、フルトヴェングラーは自分の時代から逃げないで、音楽のために不屈の信念で闘った。
いまの音楽を見捨てれば、フルトヴェングラーを根本的なところで裏切ってしまう。
彼の録音が伝える感銘を受け止めて、自分の立場で音楽を育てていく勇気が、いま求められているのである。
*なお、このホームページを書くにあたっては、文献だけでなく「指揮の芸術」という、演奏会、リハーサル風景に、音楽学者、演奏家たちのコメント等が収録されているビデオも大いに参考にさせてもらった。