フルトヴェングラーが生きた時代は、ベートーヴェンに代表されるような、頂点に向かって進む音の有機的生命が音楽構造の根本にあり、そうした時代が終焉を迎えつつあった。
フルトヴェングラーはその生命体を時代の証言として音化したのであるが、それでいて彼の表現は時代を超えていた。なぜなら人間の魂の起伏を音にして託したものであったからである。
しかも彼の創り出す音楽の背後には無限の深さを感じさせた。
歴代の名演奏家といえども、彼らの演奏スタイルは時代とともに古くなる運命にある。
フルトヴェングラーは何といっても、身をもってスコアの中に入り込み、作曲者の心と一体となり、同じ水準で「追体験」し、新しい音楽に再創造した。そういった方法で勝負したのは彼を除いて誰一人いなかったのである。
興味を持たれた方にはまず彼のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をお薦めしたい。彼が生前スタジオ録音した正規録音のなかではこの「トリスタン〜」が最も素晴らしい。官能と陶酔がいつの間にか崇高な法悦と浄化にまで昇華していく。彼のワーグナー演奏の秘法が、ここにあますところなく示されているのである。それにこのCDでは、録音状態の悪いものが多い彼の録音にしては珍しく、細部のニュアンスや全体のディナーミクの躍動を格段に鮮明に聴くことが出来る。