フルトヴェングラーのシューベルトとシューマン/フルトヴェングラー鑑賞室

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フルトヴェングラーのシューベルトとシューマン

 

フルトヴェングラーのスタジオ録音は決して多いとはいえないが、それらの中で最も優れたレコーディングは、シューベルトの「ザ・グレイト」とシューマンの交響曲第4番である。

確かに彼の芸術はライヴ録音に、より端的にあらわされている。

とはいえ、このシューベルトの演奏は、例外的ともいえるほど燃焼した音楽で、シューベルトとしては、極めて劇的な表現である。

メリハリが強く、アゴーギグが大きく、フルトヴェングラーのロマン的な気質をそのままあらわした演奏である。

普通ならこのような解釈には疑問符を付けられることが多く、ピリオド楽器でシューベルト演奏が行われるようになった現在では、大時代的と片づけられるかもしれないが、フルトヴェングラーの場合は、その音楽的な迫真力があらゆる批判を封じ込めてしまう。

それはまさに天才的な業としかいいようがない。

この演奏の北ドイツ風ともいえるほの暗い音色ときびしい表情は極めて説得力が強く、シューベルトの孤高の心情があらわに表出され、この録音ほど啓示を与える演奏はない。

シューベルティアンという意味ではワルターやベームが素晴らしい。しかし、シューベルトが希求したシンフォニックな世界を具現した指揮者は、フルトヴェングラー以前にはいなかったし、その後もいない。

  

フルトヴェングラーは1942年のライヴ録音で「ザ・グレイト」の演奏を残しているが、このときは、フィナーレのエネルギー感を第1楽章から叩きつけるようなすさまじい演奏をしていた。

同じ指揮者とは思えないその仕上がりに、以前に述べたフルトヴェングラーのライヴ・レコーディングにみられる彼の演奏のありようを窺わせるものがあるのだが、1951年録音にみられるフルトヴェングラーは後世に残すべきレコーディングセッションにあたって彼の解釈の真意が見事に達成されているものといわねばならない。

これは、フルトヴェングラーとベルリン・フィルの楽員たちとが一心同体となって、シューベルトの音楽を心ゆくまで歌い上げた稀有の名演である。

残念ながら「未完成」には理想的な録音がない。

ほんの1楽章のはじめの部分だが、練習風景の映像でフルトヴェングラーの指示でオケの表情がみるみるうちに変わっていって、そのまま全曲演奏がかなったならば、「ザ・グレイト」に匹敵する稀有の名演が生まれていたのかもしれない。

フルトヴェングラーは指揮者としては珍しい論客であり、少なからぬ著作があり、ロマン音楽についての彼の見解・論考が発表されているが、シューマンについての発言はみられない。

広く容認されているように、シューマンの交響曲はその構成の晦渋さとオーケストレーションの弱体が容認できなかったのではあるまいか。

しかし、そのシューマンのレパートリーの中で「第4」を取り上げた回数が最も多く、特にレコーディングセッションまで行って演奏記録を残したということは、四つの楽章が切れ目なしに演奏され、あたかも全体が一つの楽章の作品であるかのような大きな「うねり」をもって構成された、ロマンティックな感情の起伏をフルトヴェングラーが好んだためであると考えられる。

その天性の即興性が生み出す自在な音楽の揺れ動きと感情の高まりは、曲の構成と一体となって聴く者をつかんで離さない。シューマン自身が「大管弦楽のための交響的幻想曲と呼んだ、大きく曲折したエモーションの起伏の幻想的な表現が、見事に達成されているのである。

イギリスの評論家、ピーター・ピリスが

「フルトヴェングラーが、シューマン交響曲第4番のレコーディングで特筆に値する勝利を収め、後に対して最も偏見を抱いている人間たちからさえ賞賛を勝ち得たことは、他の作品にみられる彼の有名なテンポの変動が、気まぐれの産物ではなく、その作品自体に対する深い研究の成果であったことを証明している。」といった通りである。

録音されたのは、1953年5月で、フルトヴェングラーが亡くなる一年半前、後の最期期のレコーディングである。

いわば完成期の表現であるが、彼が晩年に目指した演奏様式の理想像である前述の、

「形式は明確でなくてはならないが炎の核があって、この形式を隈なく照らし出さなければならない。」

という言葉の真意がこのシューマンで実証されている。

私はフルトヴェングラーの正規の録音で入手可能なディスクはほぼ全て聴いたが、これこそフルトヴェングラーの全録音を通じて最高位にランクされる不朽の名演としたい。

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