即興性とは/フルトヴェングラー鑑賞室

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即興性とは

   

では即興性とは果たして何だろうか?

私はこの「即興性」というものは、名演奏家の大きな条件であると考えているが、芸風からしてフルトヴェングラーの場合はいっそう強く感じられたのである。

彼と同時代に活躍した、クナッパーツブッシュはリハーサル嫌いで、舞台での演奏はほとんど即興で行われたといわれる。

なるほど彼の指揮した小品はそのように思われるが、ワーグナーやブルックナーになると表現が極めて綿密で、とてもぶっつけ本番とは思えない。

フルトヴェングラーは反対に練習の好きな人であった。往年のベルリン・フィルの楽員も誇っているように、彼は練習も本番と同じように全力を尽くして行うので、すぐに疲れてしまい、結果として練習時間が短かったそうだ。

  

即興とは閃きである。それは本番の時に現れやすいが、すでに完成に近い練習の時にも現れることがあるという。

リハーサルで、種々にテンポをとり、ある部分のルバートを大きくしたり小さくしたり、あるいは間を長くとったり短くとったりするのは、一つの試みであって即興ではない。

即興の才能のある演奏家にとって、それは演奏中に突如閃く、というよりも、ごく自然に、かつ神秘的に変化する。

クレッシェンド、デクレシェンド、スフォルツァンドなど、いろいろな表情をつけるように指示された部分を、瞬間の天啓によって、弱音のまま無表情で流したり、イン・テンポの音楽の途中で急に遅いテンポをとってみたり、今まで考えてもみなかった間が突然出現したり、まことにさまざまである。

これはスコアを見ながらフルトヴェングラーのライヴ録音の同曲異演盤を聴き比べれば、その即興の一回性が手に取るようにわかる。

即興が現れた瞬間の指揮者と楽員との間に通じる心の通い合い、信頼の深さは当事者でなければ絶対にわからないと思うが、そのハッとするような霊感は客席にも伝わって、聴く者を感動させるのである。

また、こうして生まれた表情がその曲に定着してしまうことも、フルトヴェングラーの同曲異演盤を年代順に追ってみるとしばしば見受けられるのである。

もちろん指揮者の頭の中には全体の造型がしっかりと見据えられているから、いかなる即興的なゆらめきにも音楽が崩れることは有り得ない。

つまり即興とは決して勝手気ままなものではなく、いくら天啓とはいえ、その人にしか表れないものであるから、音楽が自分の思ってもない方向へ勝手に突き進んでゆくこともないわけである。

そしてレコーディングのように、理性が絶えず目覚め、演奏も中断されがちな場合には、即興はきわめて現れにくい。

要するにフルトヴェングラーがどれほど即興的な才能を持っていたとしても、結局フルトヴェングラーはフルトヴェングラーであり、むしろ同じようなテンポで同じような表情で演奏しても、まるで新しい音楽を聴いているような気持ちにさせられるところが、彼の偉大さであり、それこそ彼の即興的な才能の現れなのである。

例えば彼がレコードのために録音した正規のスタジオ録音を基本線にすると、ほぼ同時期に録音されたライヴ演奏は、それに実演的な要素を付加しただけで、まず目新しいことはしていないといってよい。

にもかかわらず、初めてフルトヴェングラーを聴いたときの新鮮な感動が甦り、細部の一つ一つの表情が新発見のように瑞々しく、それぞれの音楽の素晴らしさを堪能できるのである。

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