芸術と宗教/フルトヴェングラー鑑賞室

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芸術と宗教


ところでその普遍性の世界は、往古の演劇が宗教的祭儀と不可分の関係にあった。ハリソン女史も言うように「人間を教会へ向かわせる衝動と劇場へ向かわせる衝動とは、出発点において同じであった」(J・E・ハリソン著『古代芸術と祭式』筑摩書房)というわけである。

つまり芸術は宗教で、また宗教は芸術であった。この二つながらの、良く生きんとする人間の情熱のおのずから志向するところは一致していたように思える。そこで問題は、古今東西を問わず、こうして芸術や宗教を通じて発現されてきた「結合の力」が、社会の近代化にともない、とみに衰微してきたという現実である。

私は19世紀以来、鋭敏な精神が予感し、警告してきたことをここであえて論ずるつもりはない。しかし自然や宇宙から切断されつつある人間は、今や人間同志の絆さえ断たれがちであり、その結果孤独はもはや孤独として、すなわち病いとしてすら意識されなくなってきた時代である。私達をとりまく芸術環境も近代の流れとともに、しだいしだいに大きく変わってきてしまった。

一例をあげれば、原稿用紙やタブローに一人向かう孤独な芸術家と他方、匿名の多数の読者であり鑑賞者である大衆といった、あまりに近代的な芸術環境にあって「結合の力」がいかに十全に発揮されるかどうか。

個々の努力や才能によってそれなりの成果が期待できるにしても、何よりそこには「結合の力」を発現させるための有機的、共同体的な「場」が欠落してきたということである。

それは例えば、劇場に集まった観客たちも俳優と同様に、時には俳優以上に演劇に参加することができた古代ギリシャの芸術環境とは、よほど違ってしまったということである。

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