後述するが、フルトヴェングラーが最も得意としたのはベートーヴェンであった。
彼はワーグナーでもブラームスでも、曲自体を深く研究して、心の中にその作品のイメージを明確に浮かび上がらせて、それを演奏によって実体化させる。
フルトヴェングラーは透徹した解釈をもって楽曲の構造を明解に展示するが、そうした外形の美を超えた深い芸術的ファンタジーと表現の多様さによって、聴く者を名曲の奥深くへ誘い込み、限りなく豊かな音楽的愉悦に浸らせる。
特にベートーヴェンにおける彼のやり方は無類のものがあった。彼は身をもってスコアの中に入り込み、ベートーヴェンの心と一体になろうとする。汗水たらさないベートーヴェンなど、そんなものはベートーヴェンでも何でもない、と言わんばかりに、彼はこの作曲家と共に苦しみ、叫び、闘い、歓喜し、深い内省に沈む。
それを彼は「追体験」と呼ぶ。