しかし、フルトヴェングラーの限界として、12音音楽があったことは想像に難くない。なぜなら、その後の音楽発展は、彼の音楽思想を完全に拒絶する方向に進んでいったからである。
彼の信じる作品にイデーを求める音楽観は、数理的操作に基づく作曲法や「開かれた作品」には通用しない。フルトヴェングラーは無論そのことを感じ取っていた。
「それまでの音楽の発展は、有機体としての全体が不可欠であるという、自明と見做される前提のもとに進行していた。」
あらゆる個性の素材的効果、すなわち物質的なものそれ自体への礼讃が、有機的秩序をもたらす個性の破壊した。無調性は音のため、無調性それ自身のために展開されてたのであり、「人間は忘却されたのである。」「シェーンベルクへの歩みは歴史との最初の、真の決裂である。」
そこにおいては、音楽そのものの意味もまた変化した。有機的に生長した音楽的な「全体」が必要であるという感情は破壊された。小部分を規定するのはすでに全体ではない。
フルトヴェングラーは、進歩の思想、「是が非でも新しいものをつくらなければならぬという妄想」がこの変化をもたらしたという。