誤解と神話 /フルトヴェングラー鑑賞室

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誤解と神話


フルトヴェングラーは一般に主観的な指揮者の代表にされている。その対極にあるのがトスカニーニということになっているが、今現在の耳で聴くなら、この二人の違いはそれほど大きくはない。

指揮に対するトスカニーニの姿勢はスコアを見ながら聴けばわかるが、彼の信奉者たちが考えるよりはアメリカ流にプラグマティックなところがあった。

今世紀の初めに、ロマン的な演奏家たちの解釈の誇張と曲解にうんざりしたストラヴィンスキーなどが「ただ楽譜通りに弾いてくれればよいので、何も付け加える必要はない。」といった、演奏家にとってはできそうでできない非プラグマティックな見当違いも含んだ作曲家の側からの発言と、トスカニーニの客観主義とを同一視できないのである。

トスカニーニの客観主義は、彼が育ったイタリアの演奏芸術のいささか見かけ倒しな伝統への自然な反応として培われたもので、彼の例が作曲家の意図の尊重という近代的精神を助長したまではよかったのだが、今度はそれが彼のライバルだったフルトヴェングラーなどとことさらに対比させて、一方は主観的で我の強い解釈であり、それに対してトスカニーニの方は、客観的で樂曲に忠実な解釈という神話を作り上げてしまった。

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