10年ほど前の「文芸春秋」で、ある作家が取り上げていたが、戦後ナチス・ドイツの犯罪をめぐって、トーマス・マンとフルトヴェングラーのやりとりがあったことは有名な事実である。
そしてそれは、19世紀以来ドイツ教養市民文化の在り方がナチス・ドイツの犯罪に対してどのような責任を負っているかという認識をめぐる、極めて重要なやりとりであった。
フルトヴェングラーはマンとの親交を回復すべく書簡を送り、その中でナチス・ドイツがドイツの精神伝統においては一種の突然変異にすぎず、ナチス・ドイツによっては決してよきドイツの精神伝統は傷つかないという意味のことを書いている。
それに対してマンは、すでに彼がアメリカで行った『ドイツとドイツ人』という講演にも展開されている認識、すなわち「詩人と哲学の国」ドイツの精神こそがナチス・ドイツを生み出す元凶であったという厳しい認識を示し、かつフルトヴェングラーにもナチス・ドイツに対する連帯責任があるということを指摘して、フルトヴェングラーの親交回復の申し入れをはねつけたのであった。
マンの議論はマルティン・ルターに起源をもつ「ドイツ的内面性」こそがナチス・ドイツの破天荒な暴力性の最も深い源泉であったというところから始まる。
内面的なるものが常に全一的な全体性の一挙的実現を目指すという積極的な意味と、内面的なるものがもたらす非政治性が現実政治をチェックするという機能を失い、一種のイノセンスに陥ってしまうという消極的な両面において、「ドイツ的内面性」はナチス・ドイツ的な暴力性の源泉となったというのである。