「第9」のアダージョでワルターの演奏を真似することができても、フルトヴェングラーのそれを真似ることは不可能に違いない。
他の三つの楽章のドラマティックな再現は、あるいは同じように指揮できるかもしれないが、アダージョだけは絶対無理だ。
世界中の全ての指揮者は、このフルトヴェングラーの第3楽章を聴いて、己の無力を知り、打ちひしがれるだろう。まるで歯が立たない、勝負にならないことを嫌というほど思い知らされるからだ。だから神技というのだ。
この歴史的にも忘れ難い実況録音は、最晩年のフルトヴェングラーが、思いがけない苦難の時を過ごした後の、自己のベートーヴェン観を、一挙にそこに示したものと考えられなくもない。
もしも、彼がもう少し生を得て、改めてその録音を行ったとしても、この緊張感を再び記録することができたかどうか疑問であるし、それは今後生きてゆく人間全てが忘れてはならない時をそこに刻んでいるモニュメントとなっているのである。