教養文化の申し子/フルトヴェングラー鑑賞室

フルトヴェングラー鑑賞室 TOPフルトヴェングラーの場合→教養文化の申し子

教養文化の申し子

成長する環境においても、フルトヴェングラーは正しく教養文化の申し子であったといってよい。

著名な考古学者アドルフ・フルトヴェングラーの息子として生まれたウィルヘルムは、当時の上流市民の例に倣って学校ではなく、家庭教師によって教育を受けた。そして音楽ももちろんだが、文学、美術、スポーツ等の幅広い分野にわたって人文主義的教養に基づく陶治をうけたことが、彼の精神のバックボーンを形作ることになる。

こうした教養市民文化との関わりの中で形成されることになるフルトヴェングラーの音楽の論理の特質は、作品を「有機的なるものの生成」として捉えるところに最も良く現れる。

そこに窺がわれるのは、「内面的なもの」の相関において捉えられる作品内部の形成意志の自律性の重視であり、作品に体現される統一的(有機的)な全体性、すなわち精神としての全体性に他ならない。

この精神空間としての作品の全体性は、一方において表現者の内面性に直接つながるとともに、他方では、形式の明澄性を通じて外に向かう表現としての普遍性を獲得する。

晩年のフルトヴェングラーが言った、「形式は明確でなければならない。しかし炎が、炎の核があって、この形式を隈なく照らさねばならない。」の両義性とは、正しくこうした作品の全体性の最も充足した現在のありさまを指し示している。

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