ナチス時代のフルトヴェングラーに関しては、ヒンデミットやベルリン・フィルのユダヤ人メンバー(例えば当時のコンサート・マスターであるシモン・ゴールドベルクら)の擁護という面のみが取り上げられ、フルトヴェングラーをナチス時代の「受難的英雄」に仕立てあげる傾向が強い。
確かに最近までの研究では、フルトヴェングラーがナチス時代に迫害された人々を援助して救い、反ユダヤ主義と戦い続けたことを明らかにする。
しかし、ヒンデミット事件以降彼がナチスに屈して、むしろ積極的にナチスの意向にそって(少なくとも客観的に判断すれば)活動した時期の足跡を問題とすべきであろう。
この時期のフルトヴェングラーの姿はある意味では悲喜劇であるといってよい。当人は大まじめにドイツのよき伝統、すなわち教養市民文化を守る闘いを行ってるつもりで、その実最もナチス・ドイツの文化政策に迎合する活動を遂行してしまっているのである。
そして少なくともフルトヴェングラーに、そうした自分の客観的役割に関する認識が、彼の遺した著作からはほとんどうかがえないことが悲喜劇たることの性格を一層強めているのである。