フルトヴェングラーの思想 /フルトヴェングラー鑑賞室

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フルトヴェングラーの思想

繰り返しになるが、フルトヴェングラーの活躍していた時代は一口に言って、ベートーヴェンが太陽のような中心的位置を占め、それを取り巻くようにシューベルト、シューマン、ワーグナー、ブラームスといった天才たちがその周りを惑星のように回転しながら、輝かしい音楽の太陽系を形成するといった価値の体系に支配されていた時代であった。

彼はその価値の体系の正当性を証明する巨大な大黒柱のような存在であった。そんな時代にあって、他の同世代の指揮者たちの多くは、爛熟したロマン主義の影響で、取り上げる作品を自分自身の個性を華々しく発揮するための戦場かなにかのように、自己の主観的な解釈を持ち込んでいた。

その反動として、自己の主張を控え目にして、作品を客観的に捉え、本来あるがままの姿で再現することに専念すべきだ、という思想が次第に勢力を拡げつつあった。それは当時のいわゆる「新古典主義」である。

彼らのなかで、音楽は音の遊びであり、音を数学的秩序で組み合わせたものこそ音楽であるという美学が誕生し、それに応じ、演奏とは楽譜にかかれた通りを正確に音に実現するのが基本的任務であり、それ以上でもそれ以下でもあるべきではない。という考えが力を強めつつあった時代でもあった。

フルトヴェングラーにとっては、音楽は人間の精神の最も高貴で微妙な発動の場所であり、楽譜は、人間の知性と感性の全ての動きを正確に反映し刻印するにしては、あまりにも間接的なものでしかないという事実を忘れることができなかった。

「楽譜に忠実なだけの演奏は、文献学が認識よりも重要であることに対する最初の承認である。もはや事象が問題とされず、楽譜に逃避しているのだ。」

「真の芸術とは技巧に走ることを必要としない能力である。」

と彼自身述べているように、楽譜というものは、どれほど細かく書いてもやはり不自然であり、その本質を読み取る能力に欠けている者は技巧を磨いて、それによって勝負するしかない、という確固たる信念があったのだ。

だから彼は自分が一方では時代を代表する存在だという自覚を持っていると同時に、その時代に生まれてきた新しい考え方に対立し、それが時代を支配するようにならないよう、その前に立ちふさがる役割を与えられていることも、はっきり自覚していた。

だが、こういったことは彼の場合、はじめに考え方、つまりイデオロギーがあり、それに基づいて実践があったのではない。本当の芸術家の常で、まず自分が育った伝統と、自分の資質とに正直な感性の動きがあり、それが長い経験の間に思想にまで昇華したのだった。

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