改めて、フルトヴェングラーが20世紀ドイツの指揮芸術の頂点に立つ存在であることは、誰しも否定できないであろう。
彼が指揮するベートーヴェンの音楽が言葉の真の意味での「崇高さ」の表現であることは疑いの余地がない。
しかしフルトヴェングラーのこうした「崇高さ」も、歴史的にみると近代ドイツの芸術=美がいかなる性格を帯びなければならなかったのか、という問題に対する最も典型的な例証としての意味が含まれている。
(注)「崇高さ」…ここでは、フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンが、驚異・畏敬・偉大・壮大などの感動を呼び起こす、という意味で使用している。