フルトヴェングラーの音楽の魅力はこれまで何度も繰り返し述べてきたように抗しがたいものがある。
しかし、というべきか、だからこそ、というべきか、私はフルトヴェングラーの音楽が、そして彼の精神が時代との関わりで負わざるを得なかった「罪禍」を見過ごすことにはできない。
それはひとりフルトヴェングラーだけでなく、ベームもカラヤンもクナッパーツブッシュも負っている(いずれもナチ党員として第二次世界大戦中、ドイツ・オーストリアで演奏活動を続けた)。
近代ドイツにおける政治と芸術の関係をみるとき、フルトヴェングラーの問題は依然として一個の重要なトポスであると思われるのである。